コーヒーと聖書の教え

「苦い」は「まずい」の代名詞のようにして用いられることがあります。でも、「苦い」は「悪い」の代名詞ではありません。むしろ、「良薬口に苦し」と言うように、良いことの方が多いのです。

聖書も「苦い」と「甘い」を対照的に描き、はっきりと区別します。
「わざわいだ。/悪を善、善を悪と言う者たち。/彼らは闇を光、光を闇とし、/苦みを甘み、甘みを苦みとする。」(イザヤ書5:20 新改訳聖書2017©新日本聖書刊行会)

一方で、こんなことばもあります。
「私はその御使いのところに行き、『私にその小さな巻物を下さい』と言った。すると彼は言った。『それを取って食べてしまいなさい。それはあなたの腹には苦いが、あなたの口には蜜のように甘い。』」(黙示録10:9 新改訳聖書2017©新日本聖書刊行会)

聖書も基本的には「口に苦く、腹には甘い」みことばについて語ります。「良薬口に苦し」と同様です。しかし、ここではまったく逆のような表現が用いられています。
それは、このときヨハネという人が御使いにいただいたことばが厳しい神のさばきのことばだったからです。この場合は「甘い」「苦い」が人を喜ばせるかどうかという意味で用いられています。

いずれにしても、苦さと甘さは感覚的な対照を成していると同時に、苦さにもそれなりの良い意味での位置づけがあります。ですから、苦さは甘さの引き立て役として意味を成すことがあります。また、「苦さ」は本当の「甘さ」に到達するための「登竜門」として機能することもあります。さらに、感覚に頼っているとその逆に、「甘さ」に騙されて思わぬ「苦い」経験を嘗めさせられることも多々あるのです。

コーヒーは基本的に苦いものです。昔は特にそうでした。子どもの頃は「まずい」と感じたものです。

でも、今ではコーヒーをうまいと感じます。多分それはコーヒーの「甘さ」を知ったからだと思います。同時にコーヒーの品質が向上して「えぐみ」が減ったからだと思います。
私はこの苦みと甘味のコントラストが大好きなので、焙煎も意識しないといつの間にかそのポイントを目指しています。それで、ハイローストからシティーローストぐらいに大体落ち着くのです。

酸味の位置づけはぼくの場合、苦みと同じような位置づけですが、また少し違っています。酸味はまだぼくには難題です。

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